久しぶりのゆったり休みなのでゆっくり朝寝しようと思ったのに夢見が悪くまたもや失敗。外は雨模様。ユキコさんといっしょに、しっとりと1日をすごそう。
仕事の打ち合わせで「語彙爆発」なる言葉を聞いた。子どもが1歳半から2歳時に通過する段階で、この時から言葉を一気に話しだすらしい。語彙スパークとも言うと。子どもはそれまで耳から入ってきた言葉を大人のようには分からないながらも自分のポケットにためているという。その、ただの音としてランダムにストックされていた言葉が意味を獲得し、連結されて文章となり、外に向けて出力される。それが逐次的にではなく、全体として一挙になされるというのが興味深い。
世界の出現。新しい、これまでとはまったく別なる世界が突如出現する。それは相当のインパクトを持った出来事であるかのように想像もするのだけれど、あるいは未知で埋めつくされた現実をインディージョーンズばりに日々冒険しながら生きている子どもにはインパクトすらなく、「世界ってそういうもんだよね」なんてクールに受け流しているのかもしれない。
そうかあ、と思った。
効率のことを考えれば、ぼくらは逐一の情報を分類整理しながらストックしていくべきだろう。そうすることで世界は積み上げ式に重みを増すし、密度を高めてはいく。広がってもいくく。ただ同時に、ストックした時点で既にあった世界の枠を超えることは難しくなる。もちろん、なんでもかんでも生のまま、未整理なままでストックしたところで、世界が構築されるどころかそのまま腐り、消滅し、既にあった世界までも瓦解する危険はある。その危険を回避して、日々の作業や労働を無題にしないためにこそ分類整理は大切なんだけど、世界の豊かさというのは、おそらく重さや広さではない。軽く、狭く、けれど豊かな世界というのはたしかにある。そして豊かさというのは、日々が逐一に報われ、漸次獲得できるものでもないだろう。
まだしゃべれない子どもに対して言葉を話しかける親に課せられるのは、待つこと。いつかは訪れる子どもの未来に希望を抱き、どれだけ多様な言葉を届けてあげられるかが、子どもの豊かさを左右する。
さてぼくらは、臆することなく、どれだけのものをストックしておくことができるのか。いかにして未来に賭けることができるのか。