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8月28日

ぼちぼち夏も終わるなあ、と言うかいいかげん終わってくれよ、というタイミングでただいま夏休み中。明日は京都、明後日は富山、明々後日は大阪へと参ります。残念ながらぼくひとり、ユキコさんはお留守番。富山土産ってどんなものがオススメなんだろう?

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大切な友人が贈ってくれた絵本、佐々木マキさんの『やっぱり おおかみ』がいきなりの「心の書棚」入り。

ストーリーはこんなかんじ。

独りぼっちのこどもおおかみが仲間が欲しいと日々を暮らしますが、周りにはたくさんのウサギやヤギやブタばかり。仲間はどこにも見つからず、「おれに にたこは いないかな/おれに にたこは いないんだ」と意気消沈。

そして最後、「やっぱり おれは おおかみだもんな おおかみとして いきるしかないよ/そうおもうと なんだかふしぎに ゆかいな きもちに なってきました。」 

ほとんど「ええ〜っ!」と叫んでしまいそうな終わりかたですが、それも絵本ならでは。しばらくして、じんわりと沁みてきます。そのとおりだと強く刻まれます。

絵本ってすごい。

Rさん、いつもいつもありがとう。
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7月28日
彼に再び会いに行った。会うのはまだ2回目、でも計4時間はしゃべっただろうか。ぼくが頭が考え、心で想像していることを、彼はそのまま(いやそれ以上の)実体験として話す。その言葉には重みがあり、けれど振る舞いはとても軽やか。だからこそ聞く人を深く魅了する。

写真を生業としている彼に「肩書きは写真家でいいの?」と聞くと、「うーん、究極は『人間』かな」と返ってきた。世の中全員がこんな人ばかりならうっとうしいことこの上ないけれど、でもこんな人が世の中にはいなければならない。そしてぼくは、そんな人に避けがたく魅了される。

大地と空と、過去と未来の、生と死の間に在る人間の奇跡を、彼は彼以外の何かに導かれるまま写真に撮りつづけている。

山内悠さん。その名前のとおり、なんて悠々たる「人/間」なんだろう。
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6月27日〜29日:沖縄旅行その5



今回の沖縄滞在の最後は、ずっと行きたかった石釜天然酵母のパン屋さん宗像堂へ。

佐喜眞美術館を後にしてかなりカンでバスに乗り、地図とiPhoneをにらめっこしながらこれもカンでバスを降り、どうもこっちの方が近そうだと選択した山道が途中で行き止まり、引き返し自らを叱咤激励、奮い立たせ、オーソドックスなルートを歩きはじめ、、、ようやく到着。

パンを選んで、「これ全部はちょっと多いと思いますよ」というお店の方のアドヴァイスを受けひとつ減らして切ってもらって、外のテラスでほおばると、苦労の甲斐を補ってあり余るほどのおいしさ。ずっしりとした手の重みは滋味の豊かさ。


来てよかったなあ、としみじみ。


だれかが言っていたけれど、ぼくは普段は心に戸をしっかりと立てていて、でも完全に外をシャットアウトしているかと言えばそうでもなく、戸には小さな穴が開いていて声も聞こえるし、風も通る、だからその戸がガラガラとオープンされることもままある、と。こんなふうに書くとなんだかいやらしい人にも聞こえるけれど、まあそれも含めて言い得て妙だなあ、と感心したりした。人が生きていく上で距離(感)が大切、というのはきっと変わらないし、ぼくの性格もずっと変わらないだろう。

ただ、沖縄という場所は、ぼくが「よし、オープンしよう」と思う間もなくぼくをオープンにしてくれるところみたいだ。

また行こう。次はどんな出会いにワクワクしようか。ユキコさんもいっしょにいければいいなあ。









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6月27日〜29日:沖縄旅行その4



 

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6月27日〜29日:沖縄旅行その3






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6月27日〜29日:沖縄旅行その2







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6月27日〜29日:沖縄旅行その1


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6月5日
泥のように眠ってよぼよぼ起きだし、昨日manu coffee@大名で買ったケンジードーナツをうみゃうみゃとほうばって、明日の準備のためPC開いて、がんばって2時までに済ませるぞー!とか言ってたら、あれよあれよと12時過ぎにかたが付いてしまい、ラッキーとばかりにユキコさんと出かけて今日はREC COFFEE@薬院でスープサンドセット、そのまま歩いてkrank/marcello@薬院に行って水崎真奈美さんのインスタレーションを見て、だけのつもりがついついmarcelloでぼくキャップ、ユキコさんブレスレットを購入。

久しぶりにとなりのcoffonで果実酒を、と思ったけどなんかまだ珈琲の余韻が残っていたのでまた次にね、と薬院をあとにして、ぐるりと足を伸ばし久しぶりのTohki@平尾で前田彰子さんのガラスを見て、涼やかな気持ちでこれも久しぶりにふら@平尾にふらふら足を吸い込まれ、珈琲と絶品チーズケーキをいただく。と、ナオちゃんがゴロゴロとおもてなしくださり、メロメロに。あ、ネコの話ね。

いったん帰って自転車で博多駅に出向き、アートラウンジをのぞいてきびすを返し、お待ちかねの大好物、ユキコさん特製麻婆豆腐をたらふく喰らう。

さて、腹は重いが、明日の準備を仕上げにかからねば...。

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6月4日

仕事にかこつけて会いたい人に会いに行ったり、見たいものを見に行ったり。は、すでに先週のこと。光陰矢のごとしとは、まさしく。

会いたかった人Sさんは、とてもチャーミングな人だった。お菓子の形から世界の成り立ちまで、あらゆることに「おもしろい!」と目を輝かせ、そのなにがおもしろいのかをたぐり寄せ、自分なりのおもしろさに翻訳しようとする。そのプロセスを傍で見ているだけでもワクワクが伝わってくる。こんな人になりたいと、この術を学びたいと思ったし、おもしろがることもできないのなら美術(館)なんて社会に要らないのだ、きっと。

久しぶりに会いたかったKさんは、気仙沼帰りだった。ほぼ3ヶ月経ってもなんら変わっていない惨状、それどころか時を経るごと新たなストレスが代わる代わるに押し付けられる状況を目の当たりにして、心なしか面持ちも沈痛。「しょせん部外者の俺たちになにができるんだろうね」「俺たちの子どもや孫の世代にいったいどんな世界を手向けてやることができるんだろうね」と語り合いながら、しかし笑いは忘れず、「できることはあるはずだ」と信じようとしていた。そのアンビバレントな反応こそが正直だと思うし、だからこそ「きっとなにかある」とぼくも信じている。

しかもKさんは、さらに中尊寺金色堂にも足を運んで来たらしく、あれは見ておくべきだと、つよく勧められる。今では決してつくれないであろうあんなにも荘厳で美しいものをつくってしまえるほど希望の力が必要だったあの時代に想いを馳せながら、ぼくらはまだまだ歩いていけるとグラスを傾けあい、宵も更けた。

いや、これはちょっとカッコよく誇張しすぎか。笑

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5月22日

久しぶりのゆったり休みなのでゆっくり朝寝しようと思ったのに夢見が悪くまたもや失敗。外は雨模様。ユキコさんといっしょに、しっとりと1日をすごそう。

仕事の打ち合わせで「語彙爆発」なる言葉を聞いた。子どもが1歳半から2歳時に通過する段階で、この時から言葉を一気に話しだすらしい。語彙スパークとも言うと。子どもはそれまで耳から入ってきた言葉を大人のようには分からないながらも自分のポケットにためているという。その、ただの音としてランダムにストックされていた言葉が意味を獲得し、連結されて文章となり、外に向けて出力される。それが逐次的にではなく、全体として一挙になされるというのが興味深い。

世界の出現。新しい、これまでとはまったく別なる世界が突如出現する。それは相当のインパクトを持った出来事であるかのように想像もするのだけれど、あるいは未知で埋めつくされた現実をインディージョーンズばりに日々冒険しながら生きている子どもにはインパクトすらなく、「世界ってそういうもんだよね」なんてクールに受け流しているのかもしれない。

そうかあ、と思った。

効率のことを考えれば、ぼくらは逐一の情報を分類整理しながらストックしていくべきだろう。そうすることで世界は積み上げ式に重みを増すし、密度を高めてはいく。広がってもいくく。ただ同時に、ストックした時点で既にあった世界の枠を超えることは難しくなる。もちろん、なんでもかんでも生のまま、未整理なままでストックしたところで、世界が構築されるどころかそのまま腐り、消滅し、既にあった世界までも瓦解する危険はある。その危険を回避して、日々の作業や労働を無題にしないためにこそ分類整理は大切なんだけど、世界の豊かさというのは、おそらく重さや広さではない。軽く、狭く、けれど豊かな世界というのはたしかにある。そして豊かさというのは、日々が逐一に報われ、漸次獲得できるものでもないだろう。

まだしゃべれない子どもに対して言葉を話しかける親に課せられるのは、待つこと。いつかは訪れる子どもの未来に希望を抱き、どれだけ多様な言葉を届けてあげられるかが、子どもの豊かさを左右する。

さてぼくらは、臆することなく、どれだけのものをストックしておくことができるのか。いかにして未来に賭けることができるのか。
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