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1月31日
 
ここ数日、あまり気分はさえないけれど、好きな人からメールが来て、好きなお店で過ごしていたら好きな人とばったり遭遇。毎日なんてそんなもんだし、そんなもんだからやり過ごせる。家に帰れば大好きなご飯。今晩も笑おう。

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1月21日

夜、文明開化@高砂へ。ぼくは2回目、ユキコさんはお初。「すごくイイのが入ってますよお」とオススメの鯖と鰤をお刺身でいただき、レタスやらルッコラやらカリブロやらの盛りだくさんサラダ、ぼんじりの炭火焼、筑後柿豚の炭火焼、里芋の素揚げ、きゅうりの自家製浅漬け、と来て最後はお釜で炊いたつやつや白めしでしめる。味もうつわも居心地も絶品。

愉しい気持ちのまま蒲団に入れば、気がかりだった仕事の案件の目から鱗の解決策が夢で訪れ、夢のなかのぼくが興奮している。興奮したまま夢は続き、あれよあれよと言う間にどうしてかスプラッタな悪夢に変化し、うなされ、目覚め、そんなことありえるわけないと夢の解決策も夢とともに消え失せた。

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1月18日
マイブームのユキコさん文庫から阿川佐和子『スープ・オペラ』を拝借、読了。なんてチャーミングな登場人物たち。脳内会話の達者な主人公の女の子ルイを、男前で朗らか、でも中性的でちょっと屈折もしている康介と、浮世離れした人生の指南者トニーさんが囲む。彼らがさしずめ王子様と魔法使いだとすれば、これはまるで現代のおとぎ話のよう。ヒキガエルに化かされそうな強欲な王様役、おせっかいな叔母さん役まで揃っていて、うまいなあと思う。なにより、晩餐会を盛り上げるスープがうまそうで、たまらない。読後感は爽快。

 映画『ANPO』で出会った、写真家石内都さんの言葉がなぜか重なる。「傷を受けた感じがしたんですね。横須賀で育ったというのが。傷を受けたのは、どう考えても基地という。それに対して、傷を受けたまんまではいやだなと」。傷を付けた相手に対する報復とも宣戦布告とも取れるけれど、それだけではない。そんなことぐらいでは本当の私は傷つかないわよ、と言わんばかりの強さや、傷を受けながらの人生にも悦びはちゃんとあって、いつかは傷さえも生きる悦びへと変えることができるのだという希望を感じた。

 ドラマティックも平凡もない。ただ「生きる」ことの不思議さと壮絶さ。
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1月15日

ゴッホ展@九博に行ってきた。展覧会を見ながら、なんだかんだと言いながら本物をちゃんと見たことがほとんどなかったことに思いいたる。狂気の沙汰で描いたわけではけっしてないのに、どうしてもそんなふうに見られてしまうほどの激しい自己表出、重々しさ、それらが装飾の軽やかさへと浮かびあがるのも、ゴッホが生きていればあんがい時間の問題だったのかもなどと、晩年の文句なしにすばらしい作品の数々を見ながら感じたりした。

ゴッホは対象のなにを描くのかよりも、対象のなにを描かないのかという意識的な欠落こそが大切であると知っていたのだろうか。自分の死後も、自分が描いた肖像画がapparition(出現/幽霊)として後世に生き続けることを願ったゴッホ。実体なき魂(とかりに呼ぶとして)を遺すためには、見たものを見たままに描いていてはいけない。

そのままでは存続不可能な重い現実からなにを削ぎ落とし、実体なき、つまり軽やかな幽霊/魂
をいかに実現し、悠久の未来へとどう投げ込むか。ここに「芸術」と「装飾」のヒエラルキーを瓦解し、「装飾」の地平を広げる契機もあるのではないだろうか。

と、そんなこんなの妄想も展覧会を見ることができたおかげであり、まるで大学生気分に戻って参加できた講演会のおかげである。
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1月14日

ある人に手紙を書かなければならない、いや書きたいのだけれど、なにをどう書いていいか分からず思いあぐねていたところ、ふとぼくの頭の中であれやこれやがつながって、書けそう。いや、書こう。

つなげてくれたのはこれ。「手仕事の継承は、知能や技能の伝授では継承できないもの、継承に馴染まない欠落を見出す契機となる。継承の営みとは、文化によってはその形骸しか伝授できない秘訣の存在を、ひとつひとつの世代が、喪失感とともに納得してゆくための、先祖供養なのだ。」『伝統工藝再考 京のうちそと』の終章のなかで編者の稲賀繁美さんが書いた言葉である。

考えるということは、なんとスリリングなドライブだろう。

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1月10日

「これは小説だけど文学やないね」などと軽薄な言葉で煙に巻いたつもりが、気づけばこっちがすっかり翻弄されて浮上できず。小説上等。吉田修一『悪人』を読了。

結局のところ、ぼくらこそがありきたりなステレオタイプに回収されることを望んでいるのだろうか。「人生、最後には笑って終えたいね」などとうそぶきながら、自らの理解や言葉を超える生(なま)な感情をその都度切り捨てて、人生という物語を安穏と編んでいけることを願ったりする。

それはそれでいい。しあわせの形に善し悪しなどない。けれどぼくは見てきたはずだ。言葉によっておとしまえを付けることを頑として拒む強烈な感情や、ぼくらのご都合主義的な矮小化された地平を軽々と飛びこえる、もっとずっと豊かで渾沌とした言葉を。

「おまえ、カッコつけてるだけで、忘れてるんちゃうか?」と突きつけられた気分だ。生(せい)に寄り添いつづけるやさしさと強さを身につけたいと思った。ぼくには小説も美術も、〈その人の幸せな様子を思うだけで、自分までうれしくなってくるような〉大切な人もある。

と、こんなことを勢いで書いちゃうと、きっと後でとても恥ずかしくなって記事削除ってことになるのだろうけど、そもそも生は恥ずかしい。だから、ひとまず読書感想文として。
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1月7日
朝。いつものパンにバターにコーヒー。いつもとちがうのは、年末からとっておいた瓶詰めあんこ。こいつをバタートーストのうえにたっぷり塗ってやると、なんとしあわせな休日の朝食でしょう。

昼。お正月から温存しているいくらを熱々ご飯のうえに乗っけて、即席いくら丼。もちろんしあわせ。

夜。仕事終わりのユキコさんと待ち合わせて、新年初のWorld&m@白金にてピザ。あーもー、しあわせ。

さらに深夜。羽海野チカ『3月のライオン(5巻)』(闘いの軌跡と救いの到来に号泣)やら吉田修一『悪人』やら梨木香歩『沼地のある森を抜けて』やらをはしごしながら、明太子をあてにハイボール。そりゃあ、しあわせだよなあ。

そして、もうひとつのしあわせを大浦こころ展@福岡市美術館からいただく。鎮まらない鳥肌の感覚。迫りくるでもなく、引っ張られるでもなく、ともに溶けだし、まるで粘菌にでもなったかのようにゆっくりと向かう。

でも、どこに?

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1月6日

寒いからかここ数日、夕方になると体調がちょっとくずれる。酒も呑めず、本も読めず。は、あまりに寂しいから、ユキコさん文庫よりちょっと拝借、遅ればせながらの吉田修一『悪人』。はまる。




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1月3日

ともあれ食べすぎ、とにかく食べすぎ。

ユキコさんの実家より帰宅して、梨木香歩『沼地のある森を抜けて』(一度文庫本で読んでいたけど、やっぱり装丁に惹かれて年末に新刊書を購入)を読む。不気味だけれど、清々しい。

さて、仕事も始まる。清々しく。

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1月2日

絶品お雑煮を平らげて、晴天に迎えられてやはり初詣へ。護国神社を目指す.込んでいるかと思ったらあんがい人は少なく、なんだか拍子抜けするもおみくじは大吉。そう、Excellent。なんと幸先のいい。

帰宅して、風呂に入りながら中上健次『千年の愉楽』。風呂を上がったらテレビで志村ふくみさんのドキュメンタリー。あらら、年末に浜松市美で親子展があったのですか。図録はあるのか。ともあれ『しむらのいろ』はやはり手に入れなければ。

ミートソーススパゲティに舌鼓を打ちながら、ピノノワールをひとりで1本空けてしまう。
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